なにもかも小林秀雄に教わった


なにもかも小林秀雄に教わった
著者の木田さんは中央大学の名誉教授の方ですね。
少年期に抱いた「いかに生きるべきか」という苦悩からハイデガーの『存在と時間』に出会い
それを読み解くまでの読書暦(哲学書のみならず)と木田さんの自伝的内容。

タイトルは小林秀雄ですが、それ以外にも
坂口安吾ボードレール小林秀雄・アルチュール・ランボー
ドストエフスキーキルケゴールニーチェ・俳句・モーツァルト

などなど多くの哲学者・詩人・作家に触れられています。

ひとまず本書は木田さんの自伝的要素が強く、小林秀雄絡みにそこまで深くは触れられてはいませんが
ある一人の思想の読み解き方については非常に勉強になる部分が多かったように感じます。


哲学は理解するためには、年代・政治情勢・環境・その哲学者に影響を与えた人物・物など
複合的に理解を深める必要があるため、哲学者のある一人を中心に理解を深めていくのは
教養をみにつけるためには非常に有効であろうと感じますね。


木田さん爆門学問に出演されていました。
これを見たほうがザックリ分かりやすいかも。
(タカシありがとう><)


爆問学問「哲学を破壊せよ」1

爆問学問「哲学を破壊せよ」2

爆問学問「哲学を破壊せよ」3

ボードレール『笑いの本質について、および一般に造形美術における滑稽について』

「笑いはわれとわが身の優越の観念から来る」ものであり、黒い「悪魔的な徴」である。
ころんだ人を見て笑うのは、自分はころんだりしないという優越感によるものであり、
笑いの本質は諷刺にあるのだ。

ハイデガー

作品のうちで世界と大地は<闘争>の関係にある。・・・
芸術作品とは、混沌とも言うべき大地大地と抗争しつつ世界が開かれ
そこに存在者が存在者として立ち現れてくるありさまが、いわば増幅されて現れて
出てくる場面なのだと、ハイデガーは考えているらしい。

ハイデガー小林秀雄の言語観の対比

・・・もっとも「言葉は存在の家なのであり、人間はそこに住みながら」、
いわば存在に仕えていると言わんばかりのこうした考え方は、言葉は人間の自由になるものではない。
人間が言葉を使うというより、人間は自己分析化し自己組織化する記号体系である言語によって
語らされ考えさせられているのであり、そうすることによっていわば存在者を分節していくのだという、
構造言語学以降の基本的な考えに沿うものであろう。


次はもっと解説書に近いコッチを読もうと思います。
哲学は人生の役に立つのか (PHP新書 555)
著者は同じく木田さんです。