僕の先生の思い出

※長文失礼。たまには、昔を思い出しながら、真面目に物事を考えて、ブログを書いてみようと思ったりしました。というのも、前にも簡単には書いたことのある内容なんだけど、一度キチンと書いてみようと思った機会に今日出会ったので。

タイトルの先生というのは、分かりやすく言うと、「塾の先生」。と言っても、○ゼミとか○進衛星予備校とか、そんなハイカラなもんではない。まぁ言わば「個人塾」なんだけど、僕が習ってたのは、言葉は悪いけど今にも死んじゃいそうなおじいちゃんだった。白木先生と言います。実はこの先生に、僕の母親も昔習っていて、昔はけっこう厳しい先生だったらしい。今はもう廃業状態なんだけど、こうして依頼があると教えてるって感じ。教えてくれていたのは「数学」。

なんでこんなことをエントリしようかと思ったかというと、今日僕は大学で簿記試験の本番で、それはもうけっこう必死で簿記を直前まで勉強していたわけです。そんな時(試験開始10分前くらい)に母親から、先生が亡くなったという旨のメールがきた。なんか、その落差にポカーンとしてしまって、試験始まるってのに色々と考え始めてしまい、こうして文章に落としておこうと思ったしだいです。ちなみに試験はちゃんと集中して受けました。合否は知りません。

左の写真は、先生が僕にくれた言葉。確か大学合格が決まった時だったと思うんだけど、全然関係ない時に、いきなりくれたかもしれない。あんまり覚えてないけど、多分大学決まった時。いつもこうして部屋で見えるように挟んでる言葉。

「行いて余力あらば即ち(すなわち)以って文を学ぶ」漢文です。ちなみに先生は元中学か高校の英語の先生。先生辞めて数学自分で勉強して数学の先生してたって言う異色の肩書き。
なんて言ってるかというと、「行いて」は「親孝行」とか「人間の本文」とかって目的語を教えてもらった。そういう人間としての正しいこと、親孝行をしたりして、それでも力が余ってたら、学問を勉強しなさい、という意味。
大学合格したばっかりの、反抗期真っ只中、思春期謳歌中の高校生に、まあなんとも味わい深い言葉を贈るなこの人は、と高校生ながらに思ったりしてました当時は。今もだけど。

ちょっと横道にそれて、そんな先生の思い出話をいくつか。確か月曜と水曜の20:30とかに部活から帰ってきてご飯たべて数学教えてもらいに行ってました。完全プライベートレッスンね。週を通しても生徒は僕一人だけだし。先生は「ハト文具店」ってお店を昔やっていて、その店舗の上と後ろに居住スペースがあって、その2階に錆びた細い階段を上がって家に入ってまってると、先生が奥から来てくれるって感じだった。もう家ボロボロ。山口の片田舎で何十年前からある家ってけっこうすごい。冬は大体、先生の方が部屋にいるのが早くて、石油ストーブを炊いて部屋を暖めてくれてた(って言ってもめっちゃ古いやつだから、部屋めちゃくちゃ寒いんだけどね)ここで初めて、寒くて眠くなるというのを体験した。笑
そのストーブの上にみかんを置いて「暖めると甘くなって美味しいから」と言ってよくみかんをくれるんだけど、それがまた確かに甘いんだけど微妙な味なんだこれが。でも悪いから、にこにこしながらもぐもぐ食いながら方程式解いたり証明したりしてた。

先生は、海洋高校(船の学校的な)を卒業して、海洋大学(今の東京海洋大)みたいなのに行ったらしい。その後海軍にいたのか何かを経て、学校の先生をやったり、さっき話した数学の先生をやったりしてたそうだ。政治思想的にはけっこうな共産で、僕のおじいちゃんとも仲良かったらしいんだけど、おじいちゃんから白木先生は「昔はえらい(相当な)赤だった」とか聞いてて、習ってた当時はもう違かったんかもしれないんだけど、明確な政治思想をもった初めての大人との出会いだった気もする。
部屋にはデカイ本棚があって、そこには難しそうな数学の本がぎっしり詰まってて、これを一人で勉強したのかと思うと、自分の未熟さに物も言えないって感じだった。そのところどころに政治系の本とか戦争関係の本があるって感じだったな。
戦争の話で言うと、たまーに、なんだけど戦争とかベトナム戦争の話とかよくしていたような気がする。先生、そんなに話さないんだけど、いきなり話し出すのね。「Ryooohくん、昔ね・・・」って感じで。
なんかベトナム戦争で使われた枯葉剤の影響かなんかで生まれた「ベトちゃんドクちゃん」だっけ。なんかその2人の絵とかを自分で模写してたり、劣化ウラン弾について調べてたりしてて、劣化ウラン弾の現地での影響とかよく僕に話してた。

ここまで読んで気づいた方も多くいらっしゃると思うんですが完全な自己満足日記なので、スクロールしていただいても全然かまいません。笑

とまぁ何かいろいろと、新鮮というか、今でも会えないような変わった人で、毎回おもしろかった記憶があります。横道にそれ過ぎてしまった。今日僕が何を考えたかというと、この言葉を真っ先に思い出して、やっぱり本質的に、正しいことができているか、ということなんですよ。

金融でもなんでもそうだけど、スキームってある程度、勉強すれば誰でもわかるし、それなりに実践できるんだけど、そのスキームをどう生かすかってやっぱりその人の人間性次第だと思うし、何が正しいかはその人の判断によるとしても、性善説から考えて正しいことって大体どの人にも共通してると思う。


今回の金融危機って「モラルハザード」ってキーワードが多く使われていたけど、やっぱりそういうことなんだと思うんです。もっと言えば、先生の中では「戦争」というモノって、この言葉から大きく外れていると思うし、「文」が「正しい人間性」の上に成り立っていない結果なんだと言いたかったんだと今更になって考えていたりします。だから、僕に「戦争」という極論みたいな例を出しながら、問題を解くことに躍起になってる若者に、「学問」とは「正しい人間性」の上に成り立つ、使われるものなんだよ、間違った方向に使ってはならない、間違っても人を、直接的であれ、間接的であれ(追い詰めるとか)殺すようなことに使ってはならないと言ってくれていたような気がしてならない。


今思えばその光景って、金融工学で商品作ってる人間に、道徳説いてる縮図というかなんというか、まぁそんな風にも見えて色々感慨深い。


僕は来年から、成長すると思われる未公開の企業に投資をする仕事をするんですが、やっぱり先輩社員の方や業界の本を読むと、事業云々より社長の人間性(困難を乗り越えれるか、とか人間性とか)をかなり重視するらしい。ちょっと応用の仕方がしょぼい気もするんだけど、正にそういうことなんだと思っています。先生の思い描く理想とは土俵が違うのでちょっと相反する部分も出てくるけど、やっぱり正しいことができる、その上で「筆」という武器があると強い気がします。

順番は違うけど、人間性を磨くことって、自分との対話だし、修練だし、苦痛だし、だけどこういう正しい、本質的なことをないがしろにしていると、いくら本を読んだって、いくら勉強したってダメなんじゃないかと思っています。別に簿記の結果の言い訳をしているわけではないよ。笑

最近、小さいことだけど、親と話す時間を増やしたり、人を妬んだり、憎んだり、陰口を言ったり、愚痴ったり、他人について(あいつは〜だからとか)あれこれ考えるより自分のこととか、っていうことを、口に出す前の段階、要するに考えることすらも悪として排除するように気をつけたりしています。全然できてないけど。昔、大学で勝間和代さんの講演会があって「三毒追放をすると良い人になれる」と言っていて、三毒は、「妬み」「憎み」「愚痴」だった気がするけど、これとほぼ同じです。

こういう本質的なことがしっかりできるようになって、初めて真っ当な「人」になれる気がしている最近です。そうなって初めて、大きな視点で物を見るということが「正しく」できるようになるんだと考えたりしています。How To 一辺倒の人間にも、頭でっかちの人間にもなりたくない。見栄ばっかり張った人間にもなりたくない。僕が言うと気持ち悪いかもしれないけど、思いやりのある人間になりたいし、正しいことができる人間になりたい。その正しさは、目的をどう置くかで何を選択するかは各人変わると思うんだけど、そこは自分の信念、プリンシパルを持って、それにしたがって生きていきたい、と思っています。

社会がアングロサクソン化していくとこういうことを忘れがちなんだけど(こういうこと書くと怒られる?笑)やっぱり忘れたくない。資本主義だとか共産だとかビジネスだとか関係なく、本質的なことを忘れたくない。そう思います。


自分は何ができて何を信じているのか。
経歴や点数を取り去って最後に自分にどういう人間性が残るのか。
正しいとは何か?正しいことが、今、できているのか。


そう常々問いかけながら、毎日あくせくと窮屈に過ごしています。だから僕の残りの大学生活はその基盤の人間性を見つめなおす、磨く、期間にしようなんてこっそり考えていたりします。書いちゃってるけど。バガボンドみたいだけど、「自分との対話」をしっかりやる。先生がどうして(今風に言うと)変なキャリアを歩んで、その過程で何を考え、何を伝えたかったのか、僕は何を感じて、どう生きるべきなのか、そんなことを今一度真剣に考えてみた一日でした。


先生、本当にありがとうございました。