処理力か編集力か

完全に寝たのか寝ていないのかわからない状態で今を迎えますが今日朝4時頃にフジテレビのテレビ寺子屋っていう番組をやっていて、今日は藤原和博さんでした。


藤原 和博 日本の元公立中学校校長、著述家。東京都生まれ。
東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた。現在は大阪府特別顧問、構想日本政策委員、NPO法人子供地球基金顧問などを務めている。(Wikipediaリクルート出身で民間学校の校長先生として有名になりましたよね。

【テーマ】

そこで話されていたのは情報処理力情報編集力の違い。

情報処理力
=「正解」:ジグソーパズルを完成させるのに近い。決められた答えを正しく吐き出せるかという能力。
情報編集力
=「納得解」:レゴを作ることに近い。状況から判断し自由に答えを作り出す能力

【ポイント】

■これまでの学校教育で量産(というと語弊があるか)されてきたのが情報処理力。
(テスト範囲はココからココまで、暗記して解答するよくあるテスト)
■決められた回答を早く答えられる人を増産していたが、そういう時代は終わった。
■情報処理力側は不正解が怖くてしょうがない。
(だから国際的な学力テストを行うと日本人は無答率《何も書かない率》が相当高いらしい)
■そして子供達はそういう世代の親達を見て処理力は違うと感じている(分かっている)
■そういう部分は子供の「微妙」とか「別に」という受け答えに表れている。
■今後は編集力側に教育を移す必要がある。
→番組のテーマはこういう状況における地域の貢献の仕方だったのですがそこは割愛。

【だから】

決められたコトに対して早く正しく解答する能力が生かされない時代。
今晩のメニューでさえ、冷蔵庫に入っているものから何を作るか考えるのに、という話。
だから、編集力を使って独自の幸福論を持っていないと幸せになることはできない
よくありがちな言葉で言えば、「決められたレールに乗っているだけではダメ」ということ。

【所感】

無答率の話とか、この部分(↓)とか共感する部分が多い。
■そして子供達はそういう世代の親達を見て処理能力は違うと感じている
政策という名のレールに乗って形成されたこのアイデンティティ
編集力へ移りたがるがレールから外れきれないこのジレンマ。
なんとなく就活している君への中で「レールから外れるために就職する」という言葉があったけど、本当にみんなそうなのだろうか。そこに気づくのと気づかないのとは大きな差があると思った。


うむむ、結局はビジョンの話しになってくる。
ビジョンが今までのステレオタイプな安泰な大企業に就職して結婚して家もってじゃなくて編集力で独自のビジョンが描き、その上でどういう会社を利用し、ビジョンを実現させるかということなんだと思う。そんなことを改めて感じました。
さてさて僕は何になりたいんだろうか。
そしてレールから思い切って外れてみる必要があるのかもと思うこの頃。